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アンソニー・ムーア・トーク@精華大学29/10の内容

Posted on | 2017.11.19 | No Comments

10月29日に精華大学で行われたアンソニー・ムーアのトークの内容をアップします。

ケルン・メディア大学の学長も務めてただけあって学術的な内容ですが面白いです。

最初に浅野和恵さんによる翻訳を、下部に原文を掲載しています。

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こちらは浅野和恵さん。私の名前はアンソニー・ムーアといいます。

浅野和恵さんは考える人、哲学をする人、友人にしてミュージシャンでもあります。今日のために翻訳をしていただきました。

私は長年に渡り、ケルン芸術大学で教授として、音の歴史と理論を研究してきました。
それ以前は、多くのミュージシャン、たとえばピンク・フロイド、ジス・ヒート、スラップ・ハッピーといった人々と仕事をしていました。
本日、こうして皆さんにお話をする機会を与えてくださった京都精華大学に感謝いたします。

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これから私たちはさまざまな逸話/エピソードをお聞かせしようと思います。多くは二次的なソースから取られたものです。このトークは講義ではなく、ストーリーを語ることになります。
私は生涯に渡って音と関わる仕事をしてきました。私が関心をもつ領域は音の宇宙であり、
私は音の海原に船を進めていきます。
私の口から発せられる言葉もまた音です。
言葉を理解するのに必ずしも脳の理性的・分析的部位を用いる必要はありません。
時には話された言葉に耳を傾けるだけで十分ということもあります。
言葉は、文字で書かれるようになる以前に口で話されたのです。
ある種の思考は書くことが始まる以前に存在したのだと、私は考えます。
思考とは夢の一種なのではないでしょうか?聴く事の一種なのではないでしょうか?
考える事、夢を見ること、耳を傾けること
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書くこと、文字を刻むこと、すなわち記号を作ることという、このテーマを続けるために…
記号を用いること無く、文字を書くことなしに算術を行う、盲目の数学者を思い浮かべてみましょう。
彼が行うのはどのような技術なのでしょうか?それは耳による算術、いわば音楽的な算術です。
この盲目の数学者に、1オクターブ離れた二つの音が、子どもと大人、または男性と女性によって同時に歌われるのが聞こえてきます。
1オクターブは常に周波数が2倍、つまりある音の振動数が1秒間に880ならば、振動数が440の音の1オクターブ上になります。
この盲目の数学者は、二つの音を同時に体験するだけで、記号を用いない算術により「2倍する」という掛け算を行っているのです。ゴットフリート・ライプニッツは、1712年の日付があるクリスティアン・ゴルトバッハに宛てた手紙のなかで、音楽とは魂による無意識的な算術であると述べています。
しかしながら、オクターブはちょうど半分に分けることも12の部分に等しく分けることもできないというのは事実です。等しい部分に分けようとしてもすべて無理数となり、結局は割り算としては不正確になってしまうのです。システマチックな方法により2台のピアノを同一に調律することはできないという事実を知れば驚かれるのではないでしょうか。
無理数であることと無限の過程があることとは等しいとみなすならば、オクターブの中心には尽きることのない可能性があるのだと言えるでしょう。ミュージシャンたちはこの止むことのない無限性を感じ取り、それにより衰えることのないエネルギーを得るのだと想像したくなります。
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書くこと、というこのテーマを続るにあたり、二人の人物をとりあげたいと思います。発明家のトーマス・エジソンと詩人のライナー・マリア・リルケです。
エジソンは、約130年前、針が動いて柔らかい素材の上に振動を刻むという機械を作って音を記録する方法を発明しました。
詩人のリルケが子供の頃、この蝋管蓄音機を作る授業がありました。自分とクラスメイトの録音された声を聞いたことは、彼に深く忘れがたい印象を残しました。音を体験したことによる衝撃が最初は大きかったのですが、実際に彼の記憶に長く残ったのは針によって刻まれた線を見たことでした。
それから何年も経ち、パリで画学生として暮らしていた頃、リルケはデッサンの練習のために頭蓋骨を購入します。
ある夜、蝋燭の光のもと、彼は縫合線の存在に気が付きます — 縫合線とは、頭蓋骨のてっぺんを横切る線で、幼児期に頭蓋骨が癒合した場所を示します。リルケは線が刻まれた蝋管を思い出し、共鳴器に繋がれた針をこのギザギザの縫合線の上に走らせるとどうなるだろうかと想像しました。このとき想像した音をリルケは原初の音、と表現しています。それまで録音されたことがない音が取り出されると信じてそう名付けたのでしょう。
刻みつけることにより書き込むことが録音であり、何らかの装置によりスキャンされ読み込まれることにより音として現れることになるのです。
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さて、これから述べる話については、その主人公が実際にこの会場にやって来るということ、さらにその人物が現在京都で講義を行っているということを知らされる前に書かれ、翻訳されました。この話は私にとっても彼にとってもちょっと照れくさいことになるかもしれませんが、このまま続けることにしました。このエピソードは、元々このトークのこのパートに適する例として挿入したものなのです。
アーティストであり、またスタンフォード大学芸術学部の教授として音の歴史を研究する、ポール・デマリーニスという人がいます。彼は重要な作品を数多く制作していますが、中でも「エジソン・エフェクト」というインスタレーションが重要です。ようこそ、ポール。
さて、かなり怪しい話ではあるのですが、古代の陶器に刻まれた5000年前の録音という話があります。おそらく陶器を制作する過程において、ろくろを回しながら針で模様を刻むときに伝わった振動により記録されたのではないかと言うのです。しかしこれはかなり疑わしい。というのも振動は針を持つ手に吸収されてしまい、陶器の表面には伝わらないのではないかと思われるからです。
しかし、ポール・デマリーニスはこのアイディアに基づき現代のアート作品を制作することにしました。機械的な手段により音を陶器に刻みつけ、レーザーの光を使ってそれを再生するというのです。
レーザーをレコード針の代わりに使うという発想は、DVDやCDを製作する際に書込みと読取りで使われるテクノロジーからきています。媒体がプラスチックであろうと木であろうとあるいは陶器に使われる土であろうと、媒体の表面とレーザーとの間に物理的接触はないのです。
1800年代後半に大量に作られた蝋管やその他の更に壊れやすい録音物は、針を載せてその上を走らせるだけで損傷してしまうため、音を再生することができませんでした。今やそうした録音物はレーザーを使って再生することができるのです。この技術は過去の音世界を明らかにし、研究者たちにとって素晴らしい資源をもたらしています。ポール・デマリーニスの「エジソン・エフェクト」はさまざまな音響彫刻で構成され、日本では1997年に東京のインターコミュニケーションセンターで畠中実のキュレーションにより初めて展示されました。
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聞こえない過去についての考えられる歴史:
聴く事の歴史、感覚の歴史は、歴史的音楽学よりはるかに下位のものとして扱われていますが、私は音楽学者ではありません。私の関心の対象は、広い範囲での音そのものに、ノイズに、音響に、聴くことのできる振動の世界にあります。私は、古代の音の歴史と、その音がどのように聞かれていたかに関心があります。そしてまた私は歴史それ自身の性質にも関心があります。他人の聞こえを体験することは、もちろん不可能です。であるからには、そのことを例えば3000年という長きに渡って追究しようなどということは、全く困難な作業なのです!
音に関して当てはまることは時間にもあてはまります。どちらも立ち現れかつ消滅していくことを、その本質とします。過去にどのように音が聞かれていたかについて考えることは、歴史というものの性質そのものを探ることにほかなりません。歴史叙述/史学史(Historiography)です。この作業をおこなうにあたっては、様々な楽器および技術的装置の考古学的調査研究に助けられています。そうした研究には音律の理論だけではなく、医学から数学、天体運動から青銅器の鋳造なかでも鐘の鋳造といった、あらゆる分野の科学における計測システムの歴史についての研究が含まれます。しかしながら、究極的には、そしておそらく直観には反するのですが、歴史の記述を最も正確に行うことができるのは想像力のおかげなのかもしれません。
当然のこととして、歴史は現代に呼び戻され、ポール・デマリーニスのようなアーティストにとっては豊かな資源となり、現在をより具体的/積極的に経験するためのレンズ(私の場合は耳ですが)にもなるのです。
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この数年、考古学に新たな分野が登場してきました。音響考古学といい、重要な発見が相次いでいます。アイルランドにあるニューグレンジとして知られる新石器時代の墳墓で、ポール・デヴルーが同僚とともに電子的な計測器を用いて、石室の内壁に描かれた模様、および、何らかの音響効果の存在について調査を行っている時、以下の仮説が浮かびました。
閉ざされた空間には、それがどのような空間であっても、共振周波数と、内壁の表面で反射する音波に起因する定在波という現象があります。発せられた音は定在波の「腹」で増幅されます。ニューグレンジの空洞は人工的な建造物であり、入り口から閉ざされた空間へと長い通路がつながっています。石室は、入り口の上部にある小さな開口部を残して、外に対して閉ざされた空間となるように設計されていて、一年で最も日が短くなる冬至の日に、この開口部から太陽光線が細いビームとなって石室に射し込みます。
石室の内部では大型の浅い水盤が数多く見つかっています。大きさも形も異なるさまざまな石が、火で熱せられてから水盤に張られた水に投入されると、広々とした石室全体が見る見るうちに蒸気の霧で満たされます。
閉ざされた空間がもつ共振周波数は特定しやすく、儀式に参加した歌い手たちがその周波数でドローンを歌い続けることは容易にできたことでしょう。霧に満たされた空間を太陽光線が射抜いたその瞬間に、歌い手たちの声がつくる定在波が、浮遊する微粒子の粗密としてその姿を現したかもしれません。目に見える音!
ニューグレンジで調査を行っていたある研究者は音響計測よりは洞窟の壁に描かれた模様の方に興味があったのですが、壁に描かれた波の模様と音響試験から得られた定在波の図形に紛うことなき相似があることに偶然気がつき、この仮説に対する重要な裏付けが得らました。
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内側に向かって聴くことと内なる声
頭のなかで喋ることと外に向けて声に出して喋ることが脳の同じ部位を活動させるという事実は、非常に興味深いものです。
これは私達の日々の友である「内なる声」となり、友人または敵対者から発せられる声、ラジオなどから聞こえてくる音声と同じように、日常生活における音風景の中で「聞かれる」のです。
この多義的な脳の活動は脳神経学者によってMRIによる計測で確認されるのですが、「書くことが発明されるまでは幻聴/神の声がのちに意識となるものの役割を果たしていた」というジュリアン・ジェインズの仮説を強く想起させます。

我々の耳は、できるだけ遠くの可能な限り小さな音をあらゆる方向から聞き取ろうとします。かもめの鳴き声や人の声や機械の音を何とかして聞き取ろうとします。この働きはextramission(外送)と呼ばれ、音を伝える耳によって行われます。そしてこの働きを行うことそれ自体が耳音響放射というかたちで音を発しています。これらは実際に耳から発せられる音です。耳/脳が作り出したこれらの音を通して私たちは内部へと至ることができるのです。そしてそこでは、思い出され、半分思い出され、あるいは恐らく忘れ去られた聴覚的記憶とごちゃまぜになった、自分自身のいまだ聞かれざる音の存在に気が付き、それに耳を傾けるのです。

自分の内部に耳を傾けることは自分の網膜を見るようなものです。私たちは自分自身が外部に包囲され、情報があらゆる方角から飛んできて感覚器に衝突し、さまざまなものが隕石のように皮膚にぶつかってくると考えがちです。しかし音は私達の内部でも生成されていて、これには身体の働きからもたらされる物理的な音だけではなく私達の思考によりもたらされる音も含まれます。悲しいことに、耳鳴りを患っている人々にとってこの音はしばしば自己の機構の中で何かが壊れた音だと想像されてしまうのです(これは正しくもあり間違ってもいるのですが)。そうでない人にとっては「天球の音楽」のように聞こえるかもしれません。
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このお話を締めくくり、最初に戻って円環を閉じるにあたり、数字と 盲目の数学者の話に少しだけ戻ってみましょう。
ここで皆さんに申し上げたいのは、流れゆく数字の抽象的でダイナミックな世界は、音と音楽の世界に最も調和する世界だということです。
そして最もダイナミックな数であり、それゆえ最も音楽的な数は無理数なのです。(私はピタゴラスとは逆に、ハーモニーより時間が音にとってより本質的であると考えます。)そして無理数と同じように、音もまた永遠に流れ行くのだと私たちは考えるのかもしれません。

コンピュータの父、チャールズ・バベッジは、1837年に出版した『第9ブリッジウォーター論集』において、空気中を伝播する音について考察しています。賢い人が発しようが愚かな者が発しようが同じように、言葉というものはすべて地球の大気中の原子および分子の運動として存在し続けるのだと述べています。”空気そのものが、この世の人々が発してきたあらゆる言葉を永遠に書き込み続ける巨大なライブラリーとなった。”
聴くことにより何かを測ることは、目を用いて測ること以前に現れたのではないでしょうか。初期のホモ・サピエンスの自然に対する関わり方は、自然の中にパターンやシンメトリーやアウトラインを見つけ出そうというものではなく、音というかたちで流れ行く時間を体験し、何も考えずにその中に浸るというものだったでしょう。”盲目”で自意識のない数学者が想像する時間の中では、声帯の活動や岩の裂け目や竹のすき間を吹き抜ける風といった自然によって倍音列へとまとめられて聞こえてくる音が、計算と記憶のための物差しとなっているのです。
目と映像が圧倒的に支配するこの時代において、このような態度が耳そして聴くことにおいて強く求められているのです。

ありがとうございました。

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Seika Talk with Anthony Moore and Kazue Asano

This is Kazue Asano, my name is Anthony Moore.

Kazue Asano is a thinker, philosopher, friend and musician. She has generously offered to translate for us today.

For many years I was Professor for the History and Theory of Sound at The Academy of Arts Cologne.

Before that I worked lots of different musicians, for example Pink Floyd, This Heat, Slapp Happy and others.

I would like to say thank you to Seika for providing the opportunity to come and talk to you today.
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What we shall be doing here is recounting anecdotes, many of them from secondary sources – this talk is not a lecture, it is story-telling.

All my life I have worked in Sound, my sphere is the sphere of the acoustic universe,

I steer my ship through the ocean of sound.

The words I speak which come from my mouth are also sounds.

It is not always necessary to understand words with the rational, analytical part of your brain.

It is also enough, sometimes, just to listen to language being spoken.

Words were spoken before they were written.

I believe that a kind of thinking existed before writing.

Isn’t thinking a kind of dreaming? a kind of listening?

Thinking, dreaming, listening.
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To continue this theme of writing, of inscription, which is the making of signs, let us imagine a blind mathematician who practises an arithmetic without signs, without inscription.

What kind of science is that? It is an arithmetic by ear, a musical arithmetic.

The blind mathematician hears two notes one octave apart sung simultaneously by a child and an adult, or a man and a woman.

An octave is always a doubling of frequency, 880 vibrations per second is one octave higher than 440 vibrations per second.

The blind mathematician, by simply experiencing the two sounds together, is doing a multiplication times 2 in an arithmetic without signs. Gottfried Leibniz in a letter to Christian Goldbach dated 1712 writes that music is the unconscious arithmetic of the soul.

However, it is true that the octave cannot be divided into two halves or twelve equal steps. All attempts to do so will result in irrational numbers and ultimately imprecise divisions. It’s perhaps surprising to realize that in fact no two pianos can be systematically tuned to be identical.

As I equate irrationality with an infinite process so I suggest that at the heart of the ocatve lies an inexhaustible potential. I choose to imagine that musicians sense this restless endlessness and that it nourishes them with an energy that never fades.
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Continuing with our theme of inscription I would like to mention two names, the inventor Thomas Edison and the poet Rainer Maria Rilke.

It is said that Edison invented sound recording some 130 years ago by constructing a machine with a moving needle that inscribed vibrations into a soft material.
The poet Rilke, as a child at school, participated in a classroom project to recreate the wax cylinder. Hearing back the recorded voices of himself and his schoolmates left an enduring and important impression on him. At first it was the shock of the acoustic experience, but what actually stayed in his memory was the sight of the lines caused by the needle. Many years later as an art student in Paris he bought himself a skull to excercise his drawing ability.

One night, by candlelight, he suddenly noticed the coronal suture; that line across the top of the skull that marks where the bones have grown together in infancy. And remembering the sight of the inscribed wax cylinder he wonders what would be the sound if he were to run a needle connected to a resonator along the jagged line of the coronal suture. He describes the imagined sound as the UR-sound, which means the Primal sound. He named it as such perhaps due to the fact that it would be an extraction of sound that had never been previously recorded.

Writing as inscription is recording and when scanned and re-read by technical devices may manifest itself as sound.
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Now the following anecdote was written and translated before I knew that the protagonist of the story would actually be here in the room with us, and that he is currently teaching in Kyoto. This is potentially embarrasing for both myself and him, but I have decided to carry on regardless.
The anecdote was included originally as a fitting illustration for this part of the talk.

There is an artist and professor of art working with the history of sound at Stanford University namely Paul DeMarinis who has, amongst many other important works, created an installation called “The Edison Effect”. Welcome, Paul.

So there is a story, certainly apocryphal, that tells of 5000 year old recordings imprinted into ancient pottery, supposedly by vibrations passing down a stylus being used to decorate a rotating ceramic vase turning on the potter’s wheel: highly unlikely as the fingers holding the stylus would tend to damp the vibrations and stop them from being transmitted.

However, Paul DeMarinis decided to make a contemporary artwork from this idea, imprinting sound onto pottery by mechanical means and playing it back using light from a laser.

Using a laser in place of a stylus comes from the cutting and scanning technology employed in the manufacture of DVDs and CDs. There is no physical contact between the laser and the surface of the medium, whether it be plastic, wood, or clay as in pottery.

Many wax cylinders and other even more fragile recordings from the second half of the 1800s could not be played, because the act of running a needle stylus across the surface would destroy the medium. Now the recorded content can be heard by using lasers. This opens up the acoustic past and is a wonderful resource for researchers. The Edison Effect by Paul DeMarinis consists of a number of sound sculptures and was shown for the first time in Japan at the Intercommunication Centre ICC Tokyo in 1997, curated by Minoru Hatanaka.
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Thinkable Histories of the Unhearable Past: the history of listening, sensory history, is far out-matched by historical musicology but I am no musicologist. My interest is in the broader field of sound itself, in noise, the acoustic, the world of hearable vibrations. I am interested in the early history of sound and its possible perception. And I am also interested in the nature of history itself. To occupy the site of someone else’s listening is, of course, impossible. To then seek to do this over a time span of say three millennia, creates yet greater challenges!

What holds true for sound also applies to time. They both depend on disappearing as they come into existence. It turns out that to think about listening in the past is to probe the very nature of history itself. Historiography. Evidently, we are helped in this task by the archaeological exploration of music instruments, technical devices and the history, not just of tuning theory, but of systems of measurement from all branches of science; from medicine to mathematics, from celestial motion to the casting in bronze of, amongst other artefacts, bells. Ultimately, however, and perhaps counterintuitively, it might be imagination that allows us to give the most accurate of historical accounts.
Naturally, one brings history into the present and so it becomes a rich resource for artists like Paul DeMarinis; as well as a lense (or in my case a pair of ears) through which one can constructively experience the present.
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In recent years a new branch of archaeology has opened up. It is called Archeoacoustics and crucial new discoveries are being made. Whilst Paul Devereux and his colleagues were researching acoustic evidence with electronic measuring devices in a neolithic chamber in Ireland known as Newgrange, as well as studying visual markings on its inner walls, the following theory emerged.

Any enclosed space will have a resonant frequency and a phenomena known as standing waves which come about through the reflections of soundwaves from walls and surfaces. At the antinodes, the voice can become naturally amplified. The cavern at Newgrange is a built structure, an enclosed space with a long passage-way leading into it. It was designed so that the chamber could be closed off to the outside, leaving only a small opening above the entrance which would allow, precisely at the winter solstice, a narrow beam of direct sunlight to penetrate into the chamber.

Inside, a number of large, shallow bowls were discovered. Individual stones, heated up by fire and immersed in water contained by those same bowls would cause, within a relatively short period of time, the cavernous chamber to completely fill with a steamy vapour.

Enclosed spaces have easily identifiable, resonant frequencies which participants of rituals could have chanted; a continuous droning. At the exact moment when the ray of sunlight shoots through the steam-filled space, the standing waves generated by the singers’ voices may have become manifest in the air as areas of dense and less dense molecules – see-able sound!

And the substantial support for this hypothesis is that at Newgrange one of the researchers, more interested in the drawings on the cave walls than the acoustic measurements, happened to noticed there was an unmistakable similarity between depictions of wave patterns on the walls, and the technical drawings of nodes and anti-nodes derived from the acoustic tests.
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Listening inwards and the Inner Voice: it is curious that inner monologues light up the same areas in the brain as sounding speech traversing the outer air. This makes our every day companion, the inner voice, as much ‘heard’ as those voices emerging from friend or foe, from radio loudspeaker seen or unseen, in the soundscape of our normal lives.

This ambiguous activity, observed by neurologists using magnetic resonance imaging, strongly recalls the hypothesis of Julian Jaynes who proposed that until the invention of writing, hallucinated voices fulfilled the role of what was to become consciousness.

Our ears seek out ever fainter sounds from all around us at greater and greater distances. It takes time to reach out through the air to collect the cries of gulls, of voices and machinery. This work is called extramission and is carried out by the transmitting ear. And the doing of this work itself creates noise in the form of oto-acoustic emmissions. These are sounds which actually come out of the ear. Through these sounds produced by the ear/brain we are permitted to reach internally. And there we discover and listen to the sound of our own unheard voice mingling with all the auditory memories remembered, half-remembered and perhaps forgotten.

Listening inwards is like looking at your own retina. There might be a tendency to think of ourselves as surrounded from without, on all sides information flying at us, colliding with our sensors, meteorites of stuff hitting our skin. But noises are also generated from within, which may include the noise of our thoughts as well as the physical sound of the body at work. Sadly, for many tinnitus sufferers, this sound is often imagined (rightly or wrongly) to be the noise of something broken within the machinery of the self. Others might call it “The Music of the Spheres”.
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Finally, to close this talk and make a circle back to the beginning, let us return briefly to number and the blind mathematician.

What I am attempting to propose is that the abstract and dynamic world of flowing numbers (rather than geometry) is the world which most closely matches the world of sound and music. And that the most dynamic numbers and therefore the most musical, are the irrationals; (contrary to Pythagoras because I believe time is more fundamental to sound than harmony). We might speculate that like them sounds too are flowing infinitely.

Charles Babbage, the grandfather of computing machines, in his 9th Bridgewater Treatise 1837, considers the propagation of sound in air. He writes that every word spoken by wise people and idiots alike continues to survive in the motions of the atoms and molecules of the earth’s atmosphere. “The air itself has become one vast library on whose pages are forever written all that men and women have ever uttered”.

I suggest that measuring through listening may have arisen before measuring by the eye, that early homo sapiens’ relation to nature was not one of first seeking out patterns, symmetries and outlines but rather one of an unreflected immersion in the flow of time, experienced as sound. In this imagined time of ‘blind’ and unselfconscious mathematicians, sound organised by nature into the harmonic series which becomes manifest to the ear through the action of the vocal chords, much as wind blowing across apertures in rock or bamboo, is the yardstick both for calculating and memorising.

This has been a plea for the ear and for listening in a time where the eye and the screen are so overwhelmingly dominant.

Thank you. End:

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    大友良英+山本精一ギター・デュオ

    OTOMO YOSHIHIDE YAMAMOTO SEIICHI GUITAR DUO
    FMC-041 予価2200円(税抜)2310円(税込)
    全4曲入り(轟音フィードバック・デュオと静音フィードバックデュオの2曲、そしてアコースティック・ギター・デュオの2曲)
    アコースティック・ギター・デュオは広いスタジオ内を両名が歩きながら演奏、それを定位置のマイクで録音。
    9月28日(日)発売
    二人のデュオは今後、ライヴ集3枚組(予定)、曲中心のスタジオ録音集、と続きます。

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    FMC-040 定価:2100円 (税抜2000円)
    発売日:9月28日(日)
    70年代の終わりを駆け抜けた、幻のダブ、レゲエ、ファンクバンド「キャラバン」
    多くのミュージシャンにショックと影響を与えた衝撃のライブ音源が、今よみがえる!!
    コメント(抜粋)全文はここで