穂高亜希子「みずいろ」

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穂高亜希子のニュー・アルバムを9月19日に発売しました。

2枚組14曲です。税抜き2600円とがんばってみました。

穂高亜希子/みずいろ FMC-047/8
CD2枚組

発売日;2014年9月19日(金)発売

定価;2600円(税抜き)

参加メンバー

熊坂路得子(アコーディオン)
関島岳郎(チューバ、リコーダー、トランペットその他)
服部将典(コントラバス)
吉田悠樹(二胡、マンドリン)

穂高亜希子(Vo.ギター、ピアノ)

2011年ファースト・アルバム「ひかるゆめ」での独特の深い叙情が多くの人に強い印象を与えた穂高亜希子の3年ぶりのアルバム。

録音メンバーに前作に続き、NRQの吉田悠樹(二胡、マンドリン)、服部将典(コントラバス)が参加、さらに早川義夫との活動でも知られる熊坂路得子(アコーディオン)、そして栗コーダー・カルテットをはじめ幅広い活動で知られる関島岳郎(チューバ、リコーダー、トランペットその他)が参加。

 より聴きやすいように四十分程度の全14曲をCD二枚に編集、メンバー全員でアレンジされた楽曲は初のインスト曲も含め前作「ひかるゆめ」以上に深い叙情に溢れている。

 美麗ダブル紙ジャケット仕様(12pフルカラー・ブックレット付)。

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ちいさなこと、ちょっとしたこと、でもとても大切なこと。
伝えたい、気持ち。忘れたくない、想い。
穂高さんのどの歌にも、こんな “a little something” が必ずこめられていて
そのやさしさに、いつも自分の心の奥底にあるなにかを剥がされてしまう。
この2枚組にはそんな思いがあふれていて、何度聞いても途中で泣いてしまって
どうしても最後まで通して聞けなくて、ちょっとくやしい。
そんなアルバムです。大推薦。
(JOJO広重)

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雲のない夕方の空が様々な色に染まって行くのを見るのは、本当に素晴らしい。ましてや雲のある夕焼は、ものすごい程美しいことがある。自分の生のあらゆる記憶を写し取られるような気さえする。そんな夕方の空も、あっというまに夜の闇に溶けてゆく。それがごくあたりまえに毎日繰り返されている。
 曲「水色」を聴くたびにその感覚が蘇ってきます。それは当然、その歌自身がそういう内容だからに違いないけれど、それだけのことだとは思えません。その詩は、自身の思いを添えながら、ほとんど淡々と夕方の情景をリアルに写し出しています。一方メロディーは、凝縮された心情を正確に純粋に写し出したようなシンプルな旋律です。曲の流れの背景に作者の自意識は濃密に感じますが、「個性」は希薄に感じます(そう感じるのは私だけでしょうか)。そしてそれを聴く私は、そのときの感覚を思い出すというよりは、そのときと同等の体験をしているのです。たぶんこういうもの(この曲、詩、歌、演奏)は意図してできることではないと思う。これは一種の「おくりもの」なのです。
 このアルバム「みずいろ」に入っている曲たちからは、全身全霊で凝縮された「もの」を感じます。

 頭士奈生樹

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送り火の日だった。
雨は降りやみ、大風も吹きやんで、午後は静かになった。
うたた寝から目覚めると穂高さんの歌が聴こえていた。

 なぜ 人には 別れがあるの
 どうして さいごに 人はひとりなの

夕暮れの野の夢のまま、リフレインが聴こえる。

穂高さんの歌は映画のエンドロールのようだと思う。
遠い昔に一緒にいた人たち、見ていた空、住んでいた町、
思ったこと、好きだったもの。もうずっと忘れていたその名。
思い出が流れてくる。

音楽は透きとおった水のように陽の光にきらめき流れ、
なにも押し付けられることなく、心が落ち着いてくる。
言葉は優しくやわらかく、どのメロディも美しい。

耳に淡々とした歌であることはとても難しい。
その道を行く凛々しさ。支える人たち。穂高さんの猫。
「みずいろ」は愛するということはと私に教えてくれる。

穂高さんがメンバーとスタッフと互いを尊重し合い作った、
静かな永遠の名作「みずいろ」を私も大切にします。

bikke (Lovejoy)

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素晴らしい歌に、打ちのめされました。
pocosoloアルバム計画、完全にくじけました。
でも、くじけてもいいんです。
この作品は、くやしいとか、そういう次元ではないところのものなので。
打ちのめされるほど美しいものに出会えたことが、嬉しいくらいです。

こんなにも優しくて悲しくてまっすぐな歌声、
こんなにも永遠をおもう、
まっすぐで透明な言葉がそばにあったら、
ほかになにがいるのだろう、この世界に。

光をあびた歌、そして歌にそっと寄り添う
素朴な美しさでを奏でる音。

涙をこらえていたけれど、「春の雪」で
とうとう泣いてしまいました。

彼女の歌は、会いたくても会えない人を、
静かに思い出す夜に、心にともる灯り。

彼女の歌には、南米の人の大らかさのようなものがあります。
自然体で欲のない歌を歌うことが、
どれだけ歌い手には難しいことか・・・・。
 
pocopen(sakana)

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<『みずいろ』に寄せて。ゆーきゃんからの、てがみにならないてがみ>

 穂高さんの新譜は<音楽>だった、なにより、それにびっくりしたのだ。

 ぼくにとっての穂高亜希子は、ずっと<うた>そのものだった。音楽が鳴り止んでも、そこに残り続ける何か、のはずだった。
 けれど、3年ぶりに届けられたこのアルバムは、違う。再生ボタンを押したとき、それはなんのためらいもなく<流れ始めた>。ことばはリズムになって、声はメロディになった。楽器たちはもう背景ではなく、うたを羽ばたかせる翼、あるいは輝かしい鱗だった。

 何が起きたのか。アレンジのせいか、メンバーのおかげか、録音の問題か。いや、それだけではないだろう。彼女の中で、何かが変わったに違いない。とはいえ、再生ボタンのこちら側とあちら側、スピーカーを隔てて向かい合っているだけのぼくらに、それを知るすべはないけれど…

 いや、待てよ。ひとつ、思い当たるふしがある。

 さっき、ぼくは「流れ始めた」と言った。そう、音楽は、流れるものだ。そして彼女も歌っているではないか―水はうたう、いのちの限り、と。

 そこに刻まれたかのような、どこにも行けない<うた>であることを経て、確かに<流れ始めた>のは、歌い手なのかもしれない。音楽を身にまとい、汚れも悲しみも全部引き受けて進み出したのは、穂高亜希子その人なのかもしれない。だとすれば、それはやっぱりきっと、いいことなんだろう。<ひかるゆめ>は目覚めてしまえば消え去ってしまうけれど、水は流れて、海へ注ぎ、また雨になって還ってくるのだ。生きとし生けるものすべての身体に染み込んで、細胞を満たすのは、水なのだ。

 そんなことを考えながら、最後の曲を終えたCDを取り出し、盤面を見る。そうだ、まだタイトルを知らなかったな。
 そこには『みずいろ』と書かれている。ぼくは、ああ、やっぱりと、ひとりで納得する。そういうことだね。

 (ゆーきゃん)

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どんな僕も美しい
雪舟えま

穂高さんはうたの中で、自分のことを「僕」という。
女の人の中にもふつうに「俺」や「僕」がいて、自分のことを僕というときにしかいえない気持ちがある。
前作の『ひかるゆめ』には、「わたし」としてうたった曲は「こころ」「忘れるうた」「城」などがありましたが、今回の『みずいろ』には「わたし」は出てきませんでした。出てくる一人称が「僕」だけとなった本作は、切迫感がいっそう募っているように思えます。僕といわなければ表現できないものが、彼女の中心にある。

『ひかるゆめ』はその名の通り、収められた曲たちの情景が絵画てきで、いずれもさまざまの色の光を放って、それが重なり合ってアルバム全体は真っ白に輝くようなイメージ。
今回は『みずいろ』として全体のトーンは統一され、一曲一曲は階調の微妙に異なる青の印象です。
青がおだやかなばかりの色ではないことは、うたの中の僕の、魂の浄化への願いの激しさからわかる。空は晴れて月は美しいのに、どうしてこの僕はこんなに悲しいのか、どうしてこの心は楽しまないのか、暗い夢をくりかえし見てしまうのか。
美しいものをこんなに愛しながら、僕にとって、美しいものは自分が美しくないことをつきつけてくる恐怖の対象でもあるようです。

僕は、僕は、という声の主の、かぶっている青いフードをぬがせたら、きまじめな表情で震えている女の子がいるみたい。私は自分を僕と呼ばざるを得ない女の人がとても愛しい。外見や日常の言動は女の人らしくても、願いや想いをいうときには僕といわなくてはならない、その違和感や複雑さを感じられることはとても幸せなこと。生きにくさ、といってしまえば簡単だけど、その生きにくさはたくさんの創造をさせる宝だから。

リフレインの多い詞は、穂高さんが自分を守るために夢をかきあつめてこしらえた呪文みたいでもあるし、生れ落ちたもののわからないことだらけのこの世界のことを、なんとか自分なりに把握しようとして、わかったことをシンプルに書きとめた、そんな試みのようにも思える。くり返される文字が目に飛びこんでくる、彼女の手書きの歌詞集を見たときに、五本の指を真横に何度も引いたたくさんの爪あとのようだと思った。
「水はうたう」では、いのちのかぎり生きることは今いる場所をすてることだと彼女はいう。いつか浄化されることを夢みて、ぞんぶんに汚れたり濁ったりしながら旅することだという。汚れても素敵、濁っても可愛い、浄化されても綺麗、笑えないときは笑わなくてもよく、どんな状態のあなたも美しい。いまだけのあなた、蝉みたいな抜け殻をころころとあとにのこして、心置きなくどんどん変わっていってほしい。どんなすがたのあなたでも愛されると信じて。

素晴らしいアルバムの誕生、心からお祝いします。
穂高さんの魂の旅を、このアルバムを聴くことで私も一緒にさまよったり
たちどまったり、流れを見つめたり、泳いだり。

作品を聴かせてもらえるだけでなく、生身の穂高さんとも友人としてすごせることを
とても幸せだって思います。
どんな状態の穂高さんも、恐れずに見せてください。
信頼して。

雪舟えま@朝日が強烈に差しこみはじめた部屋にて!

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※コメント、後日増えます。

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