ガセネタの荒野

ハラカミさんの急死で、今さらここで何を書くことがあるのかわからなくなり告知以外はしばらく書いてませんでした。
ハラカミさんの死に関してはユザーンさんのこれが全てです。これ以上のことは誰にも言えません。

亡くなると思ってなかった人の死に向かうと(お通夜もお葬式も行けなかったので向かってはいないが)もう死んでしまった人のことばかり考えてしまう。

そんなときに注文していた故大里俊晴さんの著書「ガセネタの荒野」が届いた。92年に発行された大里さんがベーシストとして参加していた「ロック」バンド、”ガセネタ”の時代を書いた私小説と言っていい赤裸々な話。

発刊当時は登場人物が全て実名、しかもあまりに赤裸々な事実が大里さんの主観で語られているためいろんなところで反感(公式な抗議はなかったように思う)を買った曰く付きの小説だ。それが今年ガセネタの10枚組ボックスという(4曲しか持ち曲がないバンドが10枚組だ)クレイジーきわまりないリリースと共に今年復刊された。

最初に言うがガセネタのメンバーとは殆ど話したことはない。おまけに見たのも再末期のドラムが佐藤さんの時だけだ。ドラムの佐藤さんだけは親しくさせてもらった。「マイナー」後もウチに泊まりに来たこともある。しかし佐藤さんの主宰していたピナコテカ・レコードが立ちいかなくなった責任の一端は明らかに自分にある。委託で預かっていた分の支払いをしなかったからだ。たとえ数万でもその責任は思いと思ってる。

大里さんは一度も言葉を交わしていない。山崎晴美氏ともほとんどない、数度タコの時につまらない話題(合法的に手に入る薬を勧めたことがある程度)をした程度。浜野君とは何度か話したことがあるがそう深い話はしていない。

しかし数度しかみていない「ガセネタ」の衝撃は、今に至るまで尾を引いている、いや、おそらく「ガセネタ」を見さえしなかったら、こんなことはしていなくてすんだ。

初めて見た「ガセネタ」のことははっきり覚えてる。

椅子に座ったベーシストが太く重いけどワンパターンのリズムをひたすら弾いている、ドラムは何が楽しいのかニコニコしてこれまたひたすらタイトなリズムを刻んでる。ヴォーカルは訳の分からないことをわめきながら痙攣してのたうち回ってる、比喩なんかじゃない、本当にのたうちまわってたのだ。会場(吉祥寺「マイナー」)に転がっていたウィスキーのボトルをヴォーカリストがアンプの端でたたき割る、その破片がドラムのところの飛んでいくのをニコニコしながらかわし、全く何事もなかったかのようにドラマーはたたき続ける。

しかし一番衝撃だったのはギターだ。

なにか「全て」を獲得しようとしていると思った。多分その獲得しようとしている「全て」は弾いている本人にもわからないだろう。「全て」を獲得できるとも本人も多分思っていない、でもその「全て」を獲得するためにのたうち回ってる(これも比喩ではない)、負け戦と分かってるのに、しかも何が戦かも分からないのに、目指しているモノが何なのか分からないはずなのに指先から血を吹き出しながら演奏し続けていたギタリストのその音は、とんでもなく「せっぱ詰まった」ものだった。

後にも先にもあんなギターは聴いたことがない。

「ガセネタの荒野」から無断だが引用しよう。これ以上、浜野君のギターを言い表した言葉はないと思うからだ。

「どうして一本のギターから、六本しかない弦から、十本しかない指で、彼があんな音を引き出すことが出来たのか今でも不思議で堪らない。」

「ガセネタの荒野」のことを書こうと思ったのに「ガセネタ」のことになってしまった。すこし時間をおいて続きを。

「ガセネタの荒野」は青臭いところもあるけど、小説としては素晴らしく面白いはずです。ただノン・フィクションだしね。でも読むのにつらいところもある。当時のことを知っているが決して当事者でない人間だけに。

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