ラブジョイ「あの場所へ」へのコメント

 ラブジョイの新作、「あの場所へ」に沢山のとても豪華な方達のコメントをいただきました!

 中川五郎、鈴木祥子、勝井祐二、直枝政広(カーネーション)、原マスミ、オニ(あふりらんぽ)、ピカ(あふりらんぽ)山本精一、須原敬三(ギューン・カセット)、白崎映美(上々颱風)、pocopen(さかな)、西脇一弘(さかな)、伊藤せい子(夕凪)、林いずみ(名古屋得三スタッフ)、安田謙一、渕上純子(ふちがみとふなと)、田村武(p-hour)、船戸博史(ふちがみとふなと)、水島博範(京都磔磔)、宮武希、中野直志(吉祥寺マンダラ2)、たるたにさとし(ぱぱぼっくす)(順不同)の各氏です。

 


————————

何も変わらないものはない、、、みーんなみーんなかわってゆく、、流れて流れてゆくー、、bikkeさんの目で見つめてきたいろんなものが唄につまって すてきなプレゼントになった ありがとう。繊細で愛しくて切ないあなたの唄声は胸の奥にきゅるんきゅるるん 不思議な形で響きます。 洗濯してコーヒーいれたらきこうっと!    
 おに(あふりらんぽ)

きもちいい!
ビッケさん羽根ついてるで〜
このアルバムを聞いたら bikkeさんと2人仲良く 魔法の絨毯にのって不思議な黄金の世界を大冒険してるみたいになる。
なんでかなぁ?これはあの場所を教えてくれる唄の地図だ。
わたしはこのアルバムで「伝えきる強さ」を学んだ。

  ピカ(あふりらんぽ)

生きていくことは、簡単だが易しくない。
許してしまうのは、難しいが辛くはない。
痛みがないと向き合えぬのが人間ならば、
あまりに不完全な動物だと嘆く楽な塩梅。
楽に浸るワタシにラブジョイが叩く。
音に立ち止まり背中を押されたりする。
過ぎた日々とただの日常を慈しむ力。
非力に見える彼女は実に力も備えてる。
今度bikkeたんに抱っこして貰おう。

 伊藤せい子(夕凪/ムジカジャポニカ)

ラブジョイの、bikkeさんの歌は何かの普遍性に向かっているのだと思う。
それは「普遍的な何か」といった姿を持つ事ではなくて、歌そのものが普遍性に近づいて行く過程であるように感じるんです。しかもその普遍性とは、「危うさ」や「儚さ」とも隣り合わせである事に気付かせてくれる。
これが、ラブジョイの、bikkeさんの歌の大きな魅力だと思います。

 勝井祐二

出会いと別れと再会を紡いだ言葉の傍らに、熟練工たちの築いた音が集う。
やさしくたくましい、終わることのない音楽。
何処かへ想いを馳せている全ての人たちに何度でも聴いてほしいと思います。

西脇一弘(sakana)

どんな美しい日の、どんな美しい時刻に、どんな美しい配分で、
彼らは自分たちの息を混ぜていったのでしょうか?
空の輝きや雲の動きや風の香りを、この中に
どうやって混ぜていったのでしょうか?すばらしいです!

ポコペン(sakana)

割れたガラスのかけらみたいだったbikkeが
大人の女の人になって、
大丈夫だと歌っている。
みんなに歌っている。
ウレシイ
スンバラシイ。

ガラス爆裂ギター、
私のアルバムにも入れて欲しいです。

 白崎映美(上々颱風)

神よわたしのこのこころに
あなたのみ声をきかせてください

今日のおこないよいときには
やさしく 良い子と祝してください

神よ 悩みやくるしみにも
うちかつちからを あたえてください

これはわたしがむかし教会でうたっていたこども賛美歌です。子供ゴコロにもきれいなメロディと歌詞をオルガンの伴奏でうたえるのがうれしくて、毎日曜日通っていました。ラブジョイのあたらしいアルバムを聴いて、あのときうたっていた賛美歌のようだとおもいました。キリスト教でもそうでなくても、祈るきもちとうたうきもちはつねに同じ場所に在る、とおもいます。哀しみがあって闇があるから、ひとは歌わずにいられない、でもそれよりもっとおおきなヨロコビや幸せのためにも、歌は在るんだということーーいまここで生きていることを抱きしめたくなるようなアルバムです。

  鈴木祥子

夕暮れのなかで大事な人を想いながら聴きたいです。わすれてた気持ちを呼び覚ましてくれる音楽。

 須原敬三(ギューンカセット)

電気風呂という種類のお風呂がある。
お風呂屋経験がほとんどない私には未知のモノである。
「電気」も「風呂」も耳慣れた言葉なのに、「電気風呂」になると変化が起こる。
想像と聞くところに寄ると、ビリビリするらしい。
相当高い電圧がかかっていて、ペースメーカーを心臓に入れている人には危ないらしいなどの噂も妄想をかき立てる。

LOVEJOYの新作を聴いて最初に思ったのが、なぜか「電気風呂」だった。
ドライブしながらでも聴きやすい演奏とはっきりした言葉。
でも、心のどこかでひっかかるピリピリする感じ。
家のステレオで少し音量を上げてみる。
悔しいけど、気持ちが動いてしまう。

「エレクトリック・バス」ってすると少年ナイフみたいだけど、「電気風呂」って言葉はLOVEJOYに似合う気がすると思いませんかbikkeさん?

 田村 武(P-hour )

また不意をつくように胸に突き刺さりました。
ラブジョイの歌の前では嘘をついた子供のように所在なさげに立ち竦むしかない僕なのです。
アルバム発売おめでとうございます。このすばらしい歌が少しでも遠くへ届き、みんなの心を打ちますように。

 たるたにさとし(ぱぱぼっくす)

うっとりしすぎて過去も今もついでに未来も忘れてしまった
おだやかな川の流れを丸一日見つめていたような感じだった
歌心というとほうもない心情にかたちがあるとすれば
ラブジョイの地平線上に浮かぶ「あの場所」がそうなのかもしれない
だれもが11の景色を並べて日々うっとりできる権利を得たのだから
この幸せを手にするあなたも次はだれかにそっと伝えなければならない
だから「いそいで!」

 bikkeと同学年の直枝政広(カーネーション)

 晩ご飯のおかずから富士山まで、目の前のさまざまな情景や風景を、同じ感動といとおしさとを込めて、平等に歌い上げるラブジョイの世界が、ぼくはうんと前から大好きだった。久しぶりのこの新作を聴いて、ラブジョイのその世界はますますすごいものになっていると、驚嘆させられた。
 人は目の前の風景や情景をただ見ているのではない。そこには必ず見る人の思いが投影されている。人生の歳月を重ねていくにつれて、気づき、身に付き、深まっていくさまざまな思いや知恵、優しさや悲しみ、思いやりや切なさ。ラブジョイの新作は、そんないちばん大切なものを美しく正直な曲、bikkeのまっすぐな歌声、バンドがひとつになった演奏、そして有機的であたたかなサウンドで、鮮やかに伝えてくれる。
 ぼくは迷うことなくこう言おう。ついにラブジョイは「あの場所」、すなわち、豊かな実りの場所、約束の場所に到達したのだと。

 中川 五郎

CDの中でもbikkeは表情豊かに聴くものに語りかけてくれる

彼女の声はいつも正直です
Lovejoyのベーシックな部分です
後ろに控える4人の優しき音楽家の存在は勿論です
(懐にキラリと光る刃物が見えますが)
彼らの扇動と抱擁を受けて
生きてゆく楽しさをさり気なく歌う 
そうさり気なく

bikkeはHOTなオンナです
何事でもメーターが振り切った状態で向かい合う
だから感情のヒダに多くの蓄えがあるのです

こんな分析は意味を持たないよと言うように
彼女の歌声は
僕のアタマの上を快活に飛び越えていきました

 中野直志(MANDA-LA 2)

やっぱり。キラキラしとる。恥ずかしくなるくらい。いい匂いもする。
時に苦しく、激しく、美しい。正直、後ろめたい程キツく、辛い。
本気で出会えてよかった。

 林いずみ(名古屋今池TOKUZOスタッフ)

ラブジョイの音が大好きです。
胸がすくようで、しみじみしてて。
その音にのせてヴォーカルは、
「徒労も喪失も後悔も、こころのジタバタ全てが輝かしいのよ。
人生の日にちのあらゆるタイミングに居合わせた百万の自分に、
ドブに捨てちゃっていい自分なんて一人もいないの。
そうよ、そうよ。そうだ帰りに豆大福買ってこ」てなことを唄ってます。
彼女の幸福論に何度救われたか。もしビッケが音楽をやっていなかったらと
思うと背筋が凍ります。
 
 原マスミ

長く時間をともにする5人の大人が開いた新しい扉。
雨が降り、風が吹きすさぶ日が続いても
また太陽はさすのだったなあ、と
そんなことを思い出させてくれるやさしい、
そやのにまごうかたなきロック。これぞロック。
ビッケ、天晴じゃ。

渕上純子(ふちがみとふなと)

「いつもステキだったよね」
当たり前ですね。
なんたってラブジョイなんだから。お付き合いの長い皆さんですが、ほんといつも、いまでも素敵な方たちです。
落ち着いた演奏の上で踊るbikkeの歌声も「いつもステキ」で何回も飽きずに 聴けるアルバムです。

 船戸博史(ふちがみとふなと)

―入門編 磔磔とラブジョイの関係―

● 『かけがえのないひととき』から4年ぶりの3rdアルバム、『あの場所へ』

bikke(vo,g)服部夏樹(g)近藤達郎(kbd) 松永孝義(b) 植村昌弘(ds)の不動のメンバーです。

bikkeは京都に住んでいますが、他は今皆東京です。

bikkeはPhew等と70年代「アーント・サリー」を組んでいました。一枚のアルバム『Aunt Sally』を録音後解散。三回ほど磔磔に出ています。

80年代半ばから90年に掛けて「積極的な考え方の力」を組み、関西で精力的に活動、磔磔では「すきすきスウィッチ」と対バン。僕がやっているスリッカーズと京大西部講堂で一緒に出た事がある。90年代初頭には「bikke+近藤達郎ディオ」とラブジョイの原型とたどり着く。93年に「ラブジョイ」初ライブ、2000年代になってJB(ふみがみじゅんこ+bikke)も磔磔で暴れだす。

近藤達郎は70年代から磔磔に「GAS」で来ていた、石田長生、藤井裕、松本照夫、とやっていたバンドで、あとの三人は僕と同世代だが近藤は当時ハタチそこそこの寡黙な少年で挨拶程度しか覚えていない。90年代原マスミUNIT、今世紀フチガミ+ 近藤達郎ディオ、多分スタジオの仕事多くてツアーに出たこと希少と思われます。映画「かもめ食堂」のサントラなどを手がける今は売れっ子のピアニスト、アレンジャー。

松永孝義は、ボーカル、ギター 松竹谷清、ピアニカ前田、ギターEBBY と来て百万遍で飲んだ事は覚えているのだが、それが松竹谷のバンド「TOMATOS」か、違うのか?記憶はあいまいだ。松永孝義もそう云ってる。当時話題のMUTE BEATは東京での活躍は知っているが見ていない。京都に来たのかな?ロンサム・ストリングス、今は解散したリングリンクスで関西のファンにも人気。

植村昌弘は「HAYAKAWA」で知っているが既にやめた。服部夏樹は「ラブジョイ」が初めて。(たぶん)。

注)植村は自身のユニット「P.O.N.」ほか多数のユニットで、服部も80年代から、須山公美子スペシャルバンドと近藤のユニット「ウニタ・ミニマ」のジョイントツアーなどで、磔磔にお世話になってます。(近藤達郎)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
―このCDにおけるちょっとしたこと―

『ちゃいなに初めて会ったのは磔磔でのJBと羅針盤です。その日はJBのレコ発でした。二階に上がるとちゃいなが泣いていて、それはJBに感動したからやと言ってくれました。
今でもそのときのことが鮮明に思い出されます。新作でMANNAという歌を歌っています。ちゃいなの本名、真奈は聖書に出てくる、「イスラエルの民に天が与えた尽きぬ食べ物」のことだそうです。』

bikkeのメールです。2曲目、MANNAにもあるように『あの場所へ』は『音と音が走る場所』であり『音と音が破る場所』であり、この曲はちゃいなへのオマージュです。そういえば、イスラエル、カナン、あの場所、もそういった延長線上にある。しかし大事なのはそのことになんの関係もなく楽しめるであろう。

それが「よいうた」の条件だから。

*ちゃいな DMBQ、少年ナイフ、羅針盤のドラマーとして知られる西浦真奈。

2005年、DMBQのツアー中交通事故のためフィラデルフィアで亡くなった。

  水島博範(磔磔)

ラブジョイはいつもスタートラインに立っている、前作でも感じたこの気持ちは今作『あの場所へ』でより強く感じる。メンバーがそれぞれのスタートラインに立ち、その小さな的を全員が『音』を使って打っている。その正確さの中で『歌』と『歌詞』は炊きたてのご飯のような香りを残す。ラブジョイの音楽はいつも私の背中を押してくれる。

 宮武希

bikkeさんに鍼(はり)を打ってもらったことはないけれど、ずっと前に友だちから、とにかく「強い」と聞いた覚えがある。
すっかり忘れていたそんなことを、『あの場所へ』を聴いていて思い出した。
そうだった。きっとbikkeさんの鍼じゃなくてギターが強い、と言ってたのを聞き間違っていたのだ。 

僕がロック、と口にするとき、こういう音を頭に浮かべているのだけれど、それを伝えることはなかなか難しいことだ。
知性ある人たちが理性をもって野性を呼び起こす。そんなロックだ。
 
 安田謙一(ロック漫筆)

聴いているといろんな想いが渦巻いて、
ちょっと尋常な気持ちではいられなくなる。
私にはこの作品は、
どこか音楽とは別の場所から聞こえてくる気がする。
最深部まで届きました。

 山本精一

                   (50音順)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。