ベス・オートンの新作、ジム・オルークのこと

 最近ネットでCDを購入することが多くて、ふと気がついた。
ネットで購入すると自分の知ったものしか買わなくなった。

 レコード店でジャケ買いや、なんとなくビビッときて買う直感買いがなくなった。
だから新しい出会いも少なくなった。
よくないなー。だからみんななんかある囲い込みの中に無理矢理押し込んで売ろうとしてるわけだ。

 昔はローラ・ニーロもジャケ買いだったし、比較的最近ではベス・オートンもそうだった。


 ベス・オートンのTrailer Parkを聴いて抑えた歌声がなかなか素敵だと思って、すごく好き、というわけではないけどその後も買い続けた。

 で、話題のジム・オルークがプロデュースした新作だけど、どうかなー。
良くできてるとは思う。でも良くできているだけ。聴いていても耳の上を上滑りするような感じ。ひっかかりがなんにもない。

 ベス・オートン、ジム・オルーク双方の弱点ばかりでてるような。

 ベス・オートンはいつもバックやプロデュースに凝るけど、それがまるで弱い接着剤で無理矢理にバックと自分の歌とくっつけたみたいでいつも上滑りして聴こえる。
 Trailer Parkが一番素直に聴こえるから好きなんだけど。

 新作では確かにガスタ・デル・ソルのcamoufleurなみのドラムやアコースティック・ギターの響きが心地よいのだけど、ジムが単に今までのノウ・ハウを使っただけとしか思えない。

 ベス・オートンの多分もっと持っているだろう隠された魅力を引き出す努力をせずに、今までの自分の使ったノウ・ハウだけでやったようにしか思えない。
ベス・オートンの方も今までのジムの音に自分のヴォーカルが乗っかればそれでよし、と思っているとしか思えない。

 もはや音楽には魅力を感じないと言っているジムだからやる気が失せているのだろうか。

 でも今までのジムの作品は、いつか出来るだろう名作の習作にしか思えなかっただけに、これで音楽から手を引いてしまうのはとても残念。
 上記のcamoufleurだってユリイカだってハーフ・ウェイ・トゥ・スリーウェイだって、はたまたタンパーやdisengageだって、ジムの大好きだというヴァン・ダイク・パークスのソング・サイクルのような、いつかできるだろう大傑作のための習作にしか思えなかった。
 そこそこ良いけどもっと先まで行けるだろうという予感を感じさせるものだった。

 だからここで中途半端に手を引いて、自分のノウ・ハウを再現させただけのお仕事のようなプロデュースで終わるならば、本当に自分の世界で完結してしまうただのおたくじゃん、と思う。

 ジムは映画を撮りたいと言ってるらしいけど、このままじゃ多分またそこそこ良い映画を撮って終わり、になるだけだと思うけど。

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